| アロマセラピー豆知識 PartT | ||||
| アロマセラピーとは | ||||
| アロマセラピーとは芳香療法のことをいい、ホリスティックな観点から美と健康を増進するために 人間が生み出した自然療法です。 植物から採れる100%ピュアなものを使用して、嗅覚と触覚を利用した芳香浴やトリートメントなどの 様々な方法で身体に取り込んで、心身両面から元気にしていく健康法です。 また、アロマセラピーという名称は主に英国で呼ばれるもので、 フランスにおいてはアロマテラピーと呼ばれております。 |
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| アロマセラピーの歴史 | ||||
| 古代エジプト | ||||
| アロマセラピーは新しいものではありません。 それは、古代から受け継がれてきた伝統的な療法なのです。 古代の人々は、自分の体を飾るためや肉体の健康を維持するために、また、宗教目的のために この療法を用いていました。 古代エジプト人においては、特にファラオや僧侶にとって生活を送る上では欠かせないものでありました。 この時代の僧侶の役割は、医者と調香師の二役を勤めることがよくあり、 自分の技術の極意を厳重に守っていました。 香料の一番最初のものは線香で、「香料」という言葉は「突き抜ける」を意味するラテン語のPerと 「煙」を意味するfumeとできています。初期のエジプトの寺院では、線香を昼夜をおかず焚いていました。 また、植物の樹脂、植物性の軟膏、香料の入ったパウダー、香油、香料の入った水やワインも用いていて 手の込んだ宗教儀式では、芳香のある油をふんだんに体に塗り、エレミ・フランキンセンス・ミルラ・ サンダルウッドの線香を焚いて神々の栄光を讃えました。 線香は瞑想を深くし、内面の変化を鼓舞し、霊魂を浄化することによって、 彼らが霊的な経験を強める助けとなったのです。 彼らはベンゾイン・シダ−ウッド・ジュニパー・タイムの線香を用いて、 空気をすがすがしくして邪悪な霊を追い出しました。 古代エジプト人が悪霊と見なしたものを、恐らく、心理的ないし情緒的な障害と同一視して 理解していたことだと思います。 またエジプトではミイラを作成する際に香料を死者の体腔をくり抜いてから詰めました。 死者が富裕な家の出の場合、ミルラとシダ−ウッドを用いました。 一般大衆においては、シナモン、エレミ、サンダルウッド、タイムなどを用いて体を保存しました。 美容と化粧はエジプト人にとって、日常生活においても来世の準備としても、一番重要なものでした。 実際、世界で最初の化粧品を生み出した科学者は、死者の肉体を保存するための知識を 生きている人の肌の手入れのために知識に変えた、エジプトのミイラ師たちだったのかもしれません。 香油はその最も初期の頃の化粧品の主要成分でした。 古代エジプト人は、肌を健康で若く保ち、厳しい気候と日光から守るためには、 頻繁に入浴することと体に芳香性植物油を塗ることが役立つと信じていました。 また、体に香りをつけると、魅力的になって人を魅了することになるとエジプト人は信じていました。 事実、クレオパトラは、ローズやその他の香料を贅沢に使って マルク・アントニウスを誘惑したと言われています。 さらに古代エジプトで用いられた多数の香油と芳香性の軟膏は、治癒の特性も持っていて、 医薬品としても役立ちました。 |
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| 古代インド | ||||
| アーユルベーダ医学、現在最も知られている中で最古の医学で、インドで発達していました。 ベーダは、コリアンダー、ジンジャー、ミルラ、サンダルウッド、ローズなどの芳香性植物の 治癒の特性について言及しています。 カーマストーラは、求愛と美容のためにサンダルウッドを用いるように勧めています。 また、サンダルウッドは初期の頃のインドの宗教的で霊的な儀式に重要な役割を演じていました。 古代インド人は自国の豊富な芳香性植物を最大限に利用していて、香量製造の知識は、 インドの伝説や霊的信仰と絡み合っていました。 インド人は、サンダルウッド、ローズ、ジャスミンの甘い香りを特に好んだようでした。 ヒンズー教の礼拝者たちは、自分から霊的な不純さをなくして 自分の罪を洗い流すために香料を塗りました。寺院では僧侶たちは、 悪霊を追放するために、ベンゾイン、サンダルウッド、バチュリで作った線香を焚きました。 婚礼では、サンダルウッドやその他の香水を燃やす火、香油、 線香がかぐわしい香りを空中に発散させたといいます。 ヒンズー教徒の花嫁の足には香料の入った聖油が塗られ、結婚式の終わりには、 出席者は新婚の2人の結婚の誓いを確認するために香りの付いた米を彼らにかけたのでした。 |
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| 古代イスラエル | ||||
| 古代ヘブライ人は、エジプトを出国してから今のイスラエルへと旅し、 線香と香料製造について知識をそこにもたらしました。 まもなくフランキンセンスが彼らの寺院で焚かれるようになったといいます。 モーゼは、オリーブ油、ミルラ、ショウブ、桂皮、シナモンから特殊な聖油を作り、 僧侶たちにこれを塗りました。 ヘブライ人は、エジプトで囚われている間に、自分の体に香油を塗り、 家では線香を焚くというエジプト人の習慣を取り入れていましたが、 ヘブライの法律は、聖なるものとされている特定の芳香を個人が使用することを禁じていました。 これらの香りは、性別された僧侶が寺院の中で試用するためにとっておかれたのでした。 ヘブライの法律では、処女を王宮に入れる前に、 1年間、ミルラやその他多数の香油を用いた浄化プロセスを受けさせなければなりませんでした。 そして香料をふんだんにつけたユダヤ人の花嫁が結婚式に現れると、 招かれた客たちは祝賀に参加しましたが、彼らも皆、甘い香りのする香油を塗っていました。 聖書にも、シダ−ウッド、シナモン、コリアンダー、サイプレス、フランキンセンス、ジュニパー、ミント、 ミルラ、ギンバイカ、パイン、ローズ、カンショウを含むおびただしい数の芳香を持つエッセンスが 使用されていたことがかかれています。 有名なのは、当方の三博士が赤ちゃんのイエスに、 当時最も貴重な物資であった金とフランキンセンスとミルラを贈ったという話です。 |
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| 古代バビロニア | ||||
| 古代バビロニア帝国においても芳香性植物を用いておりました。 古代バビロニアにおける法律では、一般市民において不快な体臭を抑えるために 頭から香料付けにすることを強要していました。 バビロニア人は、祝祭では、莫大な量の香木や線香を燃やし、 自分の体に香油を染み込ませたといいます。 |
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| 古代シリア | ||||
| アッシリア人は、宗教儀式で何トンものフランキンセンスを焚いていました。 フランキンセンスから採った植物性の香料に自分の体をひたすこともしました。 彼らは、シダ−とサイプレスとミルラを化粧品と医療用に用いていました。 シリアのアンティオクス・エピファネス王の王政の集会の際には、 何千人もの人々の体に貴重な香料が塗られ、線香も至る所で焚かれました。 出席者は皆、フランキンセンスとミルラの花輪を冠って宴会を去ったといいます。 |
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| 古代中国と日本 | ||||
| 古代中国と日本においても宗教儀式において香料を用いていました。 どちらの文明でも、葬式には香木と香草を燃やしました。 中国人は祖先を崇めるのにジャスミンを用いたので、 会葬者は火のついたジャスミンの線香を持って葬列を進んだものでした。 中国人も日本人も身の回りの衛生と美容にも芳香性植物を用いていて、 それらを非常に重要だと見なしていました。 中国の女性は、入浴後にはジャスミンを体に塗ってマッサージしました。 中国人は、病人の健康とバランスを回復するために、シナモン、ジンジャー、 ジャスミンなどの数種の芳香性植物を用いていました。 |
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| 古代アフリカ | ||||
| 古代アフリカでは、主として皮膚を柔らかくして太陽の肌を焦がす影響から体を守るために、 体に芳香性植物を塗る者がいました。アフリカの結婚式の準備では、 花嫁と花婿は、自分の体を美しくして婚礼の日に悪を退けるために、 香油と芳香性のある軟膏を体に塗りました。古代アフリカ人の多くも、 芳香性植物の根や香木で甘く香りをつけた油で自分の体を洗っていました。 これらの油を定期的に用いると、皮膚のしなやかさと弾力を保つのに役立ち、 皮膚病を防ぐことにもなったのです。 |
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| 古代ギリシャ | ||||
| 古代ギリシャ人は、エジプト人から芳香性植物と植物の薬品について学びました。 彼らは芳香を持つ植物と香料の治癒力を尊重し、これらを医薬品と見なしていました。 その証拠に香料はギリシャ神話でも主要な役割を果たしています。 ギリシャの愛の女神アフロディーテは、天から東方へと香料を届けたとされています。 ギリシャ人は、植物は神から発したもので、 したがって、植物エキスには霊的で神に似た特質があると信じていたのです。 彼らは凝った宴会を催して自分たちの神々と女神たちを讃え、 これらの祭典で莫大な量の芳香性植物を浪費しました。 自分たちも神々の幸運にあずかって同じように祝福されたいと願い、 神々が喜ぶことを期待して大量の香料を用いて自分の体を熱心に飾り立てました。 また古代ギリシャ人は、体の治療のために用いる医薬品としての香料は、 好都合な作用を心にも及ぼし、それも特に、情緒ないし神経の疾患を治す作用があると信じていました。 精神が癒されると肉体の健康が回復すると彼らは信じていて、 日々の日課として、体の各部位に様々な香油を塗っていました。 裕福なギリシャ人は自分の家の中に祭壇を作って、そこで日々の儀式を行いましたが、 その際には線香を焚きました。香料は葬式にも欠かせないもので、 死者は自分が生前に好んだ香りの入った瓶と共に埋められました。 |
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| 古代ローマ | ||||
| 古代ローマ人は、医学と香料製造の知識をどちらともギリシャ人から得ました。 彼らは、化粧、衛生、マッサージ、医療として芳香性植物を用いることを享受しました。 入浴はローマ人は香油を蒸気風呂や温水浴槽に入れ、入浴後には香油でマッサージしました。 体と髪に香りをつける以外にも、ローマ人は衣服と家にも芳香性植物で香り付けしました。 芳香性植物と香料は、政府の全ての祭典でも用いられていました。 そしてローマ帝国が他の国を征服するたびに、 ローマ人は、自分たちの新しい臣民に芳香性植物を伝えたのです。 |
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| 医学の祖ヒポクラテス | ||||
| 医学の父と呼ばれるヒポクラテスは、 西暦全460年ごろ、アスクレーピオス派の神官兼医師の息子として生まれました。 彼は、病気は何か悪霊のようなものに取り付かれた為に起こるのではなく、 体内の状態や精神状態や外的な要素に関連して、体液のバランスが崩れるために起こると説明し、 医学を神官の仕事から切り離し、医学への新しいアプローチを考えた最初の人物です。 彼は、四大元素と四つの体液に基づいた病気の理論を確立しました。 大地は黒胆汁、空気は黄胆汁、火は血液、水は粘液とそれぞれに関係があり、 人間の気質と体質はこれらの要素のバランスによって決まるとされています。 また、人間の身体を治癒するには、人間全体についての知識が必要であり、 どんな病気でもその症状を治癒するよりも、その原因を探求しそれを根絶することが 重要であると指摘しました。ヒポクラテスは、健康を保つ秘訣は毎日芳香浴をし、 香油を用いたマッサージをすることであるといっています。 |
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| 植物学の祖テオフラストス | ||||
| 紀元前300年ごろに生まれたテオフラストスは、古代ギリシャの植物学の祖といわれ、 香料を用いた治療法とそれが与える心理効果についてなど「植物誌」の中で記述しています。 彼は、神経に作用する植物としてストリキニーネの働きを見出しました。 一つは神経を刺激して興奮させる作用があるとし、もう一つは眠りを誘発することを発見しました。 また、香料は香味料の効力から見て医療的特性を持っているとし、 軟膏及びパック剤の一部で呼ばれているものの効果は腫瘍と膿瘍を散らし、 体とその内部にはっきりした効果を生み出すからで、 体外に適用された精油は体内器官と組織に影響するといった事実を観察したのでした。 |
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| 生理学の祖ガレノス | ||||
| ガレノスは、ヒポクラテスの科学的な方法にしたがって、 身体の不調をほてりと冷えや乾燥度や湿度を使って説明し、現在の「生理学の基礎」を打ち立てました。 ガレノスは、全ての疾患は精神的なものも身体的なものも体液の異常によって引き起こされると考えました。 ガレノスが職務についていた間は、負傷で死んだ剣闘士は一人もいなかったと記録されています。 また、植物医学理論のことも多く書き、植物を様々な医学のカテゴリーに分類しました。 最初の「コールド・クリーム」を発明したのも彼で、これは現在使用されている全ての軟膏の原型となりました。 |
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| アウィケンナ | ||||
| アウィケンナは、18歳の時には既に有名な医師でした。 彼は800種以上の植物とそれらの人体に及ぼす効果について記述し、 高い価値のある記録を残しました。 アロマテラピーの歴史にとって最も偉大な重要性は、 古い時代に作られた蒸留器を改良し完成させたことです。 今までの装置に冷却用の蛇管をつけることで、一段と洗練されたものに仕上げ、 初めて純粋な精油を抽出するのを可能にしました。 香油とその効果を世に占めるに当たって大きな貢献をしました。 古代の思想とその時代のアラブの考え方が統合されたことで、 空気を浄化し元気を回復させる精油を治療に用いる医師がますます増えるようになりました。 アウィケンナが最初に蒸留に成功したのは、ロサ・ケンティフォリアだといわれています。 この新しい発展のおかげで、バラ水と「アラビア香水」の人気は一層高まりました。 |
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| ルネ・モーリス・ガットフォセ | ||||
| 1920年代、香料会社の科学者だったルネ・モーリス・ガットフォセは、 研究室での爆発事故で片手にひどい火傷を負い、 彼は、ラベンダー精油がやけどに聞くということを聞いていたので、 実験室にあったラベンダー精油のドラム缶にやけどした手を突っ込みました。 その後、驚くほど早く痛みが取れ、感染もせず、膿むこともなく、 爆発事故を思い出させる傷跡も残りませんでした。 この体験から彼は、精油を医療に使う研究をはじめ、精油を皮膚につけると血流にまで浸透し、 身体の化学的性質と影響しあうということを発見しました。 そして1937年「アロマテラピー」という用語を初めて使い、本を発表しました。 |
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| ジャンバルネ博士 | ||||
| ガットフォセの研究に強く影響を受け、 第二次世界大戦で重傷を負った兵士の治療にエッセンシャルオイルを用い、 その後も彼は長期にわたって精神を病んでいる患者の治療にエッセンシャルオイルが いかに効果を示したかを発表しました。その患者たちの身体には、 抑鬱症や幻覚症状を抑えるために投与された薬剤による副作用も出ていました。 そこで少しずつ投薬を止めて外用と内用にエッセンシャルオイルを用いる治療に切り替えました。 外用としては芳香バスと塗布、内容としては経口もしくは皮膚に注射するといったものでした。 彼の著書として「ジャンバルネ博士の植物=芳香療法(フレグランスジャーナル社)」があります。 |
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| マルグリットモ−リ | ||||
| マルグリットモ−リーは医学の勉強を重ね臨床経験を積みながら美容学の研究を深めました。 フランスでホメオパシーの専門家のモーリーと再婚し、医学的教養を持つ美容科として、 彼女独自の自然療法に基づいたアロマテラピーを確立しました。 彼女はエッセンシャルオイルを経口投与することに賛成せず、 植物油で希釈して肌にマッサージする方法を取りました。 伝統的なチベット医学の手法を取り入れて、 背骨の中枢神経に沿ってオイルを塗るというマッサージ技術を開発しました。 また、マッサージを受ける人の身体と感情の状態に応じてオイルを選択する個別処方も編み出し、 精神面と肉体面の変化に合わせてオイルの処方も変えました。 このトリートメント受けた顧客たちは、肌の状態が驚くほどよくなり、 他にも興味深い効果として、多くの女性がリウマチの痛みから開放され、よく眠れるようになり、 精神状態も安定したといわれています。 |
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